2015 松竹座 少年たち
私「結構厳しいらしいんよな~外れてる人いっぱいおんねんどうしよ」
友達Sちゃん「えっ二人おらんのに??」
わたしはこのとき、なにも答えられなかった。ただ笑うことしかできなかった。
そうだよなぁ。世間的にはそうなんだろうなぁ。
いや、「世間」といっても、ジャニーズJr.を知っていて、関西ジャニーズJr.を知っていて、なにきんを知っていて、キンプリを知っている、そんな、そんなごくごく少数の限られた人だけでできた、恐ろしく小さな「世間」のなかで。
ほんとうに小さい。
わたしがまだ嵐一筋だったころ、24時間テレビのチャリTを買うために母と二人で朝早くからイオンで並んでいた。もちろんわたしと母以外にもたくさんのファンが並んでいた。その様子を見た一般の買い物客が、「なに?なんかあるん?」と何人か覗きに来た。
わたしたちは何日も前から今日のことを計画して、何色を何枚買おうとか、何時くらいに行こうとか、売り切れないかとか(まぁ大体売り切れないんだけど)、そんなことを考えていて、でもそれはこのおっきなイオンの、この片隅でこうやって並んでる私たちだけなんだなっていう。
「住んでる世界が違うんだな。わたしはなんて小さな世界に生きてるんだろう」と思った。それを母に伝えたら、「そうやね」と笑ってた。
嵐でもそんななのに、今のジャニヲタのわたしの生きてる世界は、やっぱりものすごく小さいのだと思う。
大学の友達と別れると、ふっとそっちの世界に戻る。いやもう、戻るとか言ってる時点で気持ち悪いんだけど、もうなんか、そういう感覚で、ふっと戻って、好きなアイドルの顔を思い浮かべる。そして悩む。
こんなちっちゃい世間の中の、ぼーっとしてればなんとかなってしまうものを、ずーっと見てしまうのはなんでなんだろう。どちらに転ぶのか、「早く、早く」と急かしながら、「もうどっちでもいいから」と叫びながら。
わたしは自分が思っている以上に自担に盲目である。わたしは彼が一番だと思っている。
だから、わたしは「キンプリは寄せ集めだ」という言葉にいつも首をかしげる。だって彼がいない。寄せ集めなら、一番かわいくて一番アイドルな彼がいないとおかしいじゃないかと。
キンプリに自担がいない人が「キンプリは寄せ集めだ」と言っていることが、わたしには意味が不明である。
だから、別に嫌いじゃない。そこに関してはなんの嫉妬もない。
でも、だから、そんな考えだから、わたしの一番好きな人が「残されたかわいそうな方」に括られるのがすごく嫌だった。
だってだいごが世界一なのに。
「残されたかわいそうな方」なんかじゃない。ほら見てよ。今の関西の真ん中は、わたしの一番好きな人だ。名前が一番上だ。
もうそれだけでいいと思ったし、それならもう、なんでもいいと思った。これでいいと思った。
日生にすのが出るって知ったときは、本当に悔しかったけど。のびしろのびしろ。
この記事書こうと思ったのは、「とにかくこの8月は松竹座に来てくれ」ということを伝えたかっただけなんだけど、なんだか収集つかなくなった。困った。
東京ドームというとてつもなく大きい場所で歌って踊る二人を見たあとに、地方のラジオで舞台の話をする三人のラジオを聴くのはなかなか面白かった。向かう方向が同じというのは、とてもキラキラして見える。そのキラキラはやっぱりうらやましかった。
でも、目線が違う関西Jr.が、今、なんの「グループ」もない、ただただ、まだ頭にこびりついて離れない「括り」があるだけの、夏明けすぐにダダダッとガガガッと変わるかもしれない、不安定で、ジャニーズの端っこの関西Jr.は、たぶんとてもおもしろいと思う。
だから、もう「かわいそうな子たち」という感覚でもいいから、見に来てほしい。この夏の松竹座で少年たちを見たことが、きっとあとでネタになると思うから。
せめてジャニーズJr.を知っていて、関西ジャニーズJr.を知っていて、松竹座に来れる人はぜひ!ぜひ松竹座に!チケットあるよ。